複数の子を育てるのに向いてないらしい私
「子供を複数育てられる人っていうのは、もともとそういうのが大丈夫な性格なのよ。そういう人が産むのよ」
と、かつては母言った。
どんな話の流れだったか忘れてしまったけれど、長女がまだ1歳くらいのことだったと思う。
子供もう1人いたらどんなかな、というような話題になったとき、相続や兄弟仲が悪くなるリスクを考えると、2人以上の子がいることがいかに大変か、どれだけ子育てにお金がかかるか、そもそも低年齢のうちの子育ては絶対につらい、というようなことを並べて、冒頭のセリフを吐いた。
遠回しに、あなたにはもう1人子供を育てることはできないわよと。
ちなみに私は一人っ子だ。
このやり取りが少しずつ私の心を蝕んで、子供もう1人いてもいいかも、となんとなくの決心がつくまでそこから2年くらいかかってしまった。
やだやだ。母の影響を受けすぎてしまう自分。まぁ結果4歳差姉妹になって、メンタル弱めな私は助かったのだけど。たぶんイヤイヤ期ど真ん中の上の子を抱えてのワンオペ2人育児をしたらノイローゼだったと思う。
ただ時折、下の子妊娠中から生後2週間ちょいの今に至るまで、「つらいな」と感じることがあるごとに、「やっぱり私みたいな母親が子供2人なんて育てられるわけがないんだ」という呪縛がひょっこり顔を出す。
こんな呪縛に負けたくないな。二人をちゃんと育て上げたら勝ったことになるのかな。でもちゃんと育った、ってどういう状態だろう。
そんな葛藤をしながら、昨晩は寝かしつけまで初ワンオペで2人の相手をしてみたのでした。控えめに言って死にました。でも、最初から上手く行くわけないもん。まだまだこれから。私は、負けない。
Kくんのエントリーシート
その昔、新卒で入った会社で人事に配属になった。新卒採用も担当の1つで、社会人経験もない私がジャッジをして本当にいいのだろうかとビクビクしつつ、産休に入るまでの四年ほどそのまま業務についていた。
就活イベントなどで学生からよく出る質問が、「どういうエントリーシートが合格になるんですか?」である。
「読んでいると、脳内でその人の像が結ばれて、動き出すようなESかな」と上司の受け売りで答えてみたり、「最低限設問に答えているESかな、意外と設問の回答になってない記述も多くって」とかわしてみたり。
採用担当たるもの、これには確固とした回答を持っておくべきなのかなぁと自省しつつ、のらりくらりと応じていた。
しかし一度だけ、「今までで一番印象的だったESはどんなものですか?」と聞かれたことがある。その瞬間、迷いなくと1枚のESが浮かんだのは自分でも意外だった。それは2013年度新卒採用で目にした、KくんのESだ。
彼のESは、佇まいからして他とは違っていた。端正な文字で綴られる言葉たちは、主張しすぎず、それでいてはっきりと、等身大の書き手の像を浮かび上がらせている。ESと言うより、小洒落たエッセイのようだ。あぁ、いいなぁ。うっとりしながら読み進めていった私の目が釘付けになったのは、趣味欄。「靴磨き。丁寧に靴と向き合うことで心が落ち着きます」。弱冠21歳にして松浦弥太郎的なの趣き。
筆記試験の結果もずば抜けてよく、落ち着いた人柄はうちの会社に合っている。個人的な好みを押し殺してもなお、ぜひに採用したいと思っていたが、面接の途中でするりと辞退してしまった。他社内定が決まったので、と。同じ業界だが、事業内容にもう少し遊び心というか、デザイン性があるタイプの会社だった。そうだね、Kくんにはそっちのほうが合っている、ぜひ頑張ってください。そう伝えたと思う。
彼のサークル仲間であるAさんと私は、たまたま知り合いだった。Kくんってどんな人と聞くと、「飄々として何考えてるかよくわからない、嗜好がおじいさんみたいな人です」と返ってきて、笑ってしまった。「でも」Aさんは真顔で加える。「ヤツはすごいです。真似できません」。
Kくんは元気だろうか。新卒入社した会社でまだ働いているのだろうか。Aさんを介せば消息はすぐわかるが、何となく聞かないでいる。
入社しなかった学生のESは破棄してしまうし、私も転職を重ねたので、あの文章はもう読めない。記憶の片隅に留まった紙片は、今でも控えめな美しい輝きを放っている。
娘が可愛く思えない恐怖体験
おととい、生後11日にして次女が風邪を引き、今日も乾いた咳をケンケンとしている。小さい身体で鼻水をずるずるさせてちっとも寝つけず、ケンケンしては大泣きする姿はとても不憫で、昨日産院の小児科で診てもらった。シロップを飲んで、こまめに鼻吸いすれば大丈夫だよ、とのことで少し安心。
そもそも風邪を引いたのは長女の風邪をもらったからで、その長女の風邪の原因はおそらく薄着である。
9月も後半に入って朝晩は涼しくなった。しかし何度、何度、何度長ズボンを履けと言っても、履かない。風邪を引いたら赤ちゃんに触れないよらなどなど説得しても、履かない。誰に似てこんな頑固なんだろう。八方美人タイプの私でも、「自他共に認める人畜無害」がキャッチコピーな夫でもない。
そんなこんなで薄着で元気に登降園し続けた長女は先週金曜夜に風邪を引いた。ズルズル鼻水を垂らして帰ってきた彼女を私はこっぴどく怒った。「だから言ったじゃない!薄着にしたあなたが悪い!明日酷くなってたら病院行きなさい!赤ちゃんにうつしたら次女ちゃんも私も病院にお泊まりになるかもよ!」
その後もイライラがおさまらず、似たようなことをネチネチ説教してしまった結果、長女は「パパとお風呂に入りたい」と大泣き。この数年どんなときもママとしか入らなかったことを考えれば、相当怖かったらしい。
夫と長女に入浴している裏で、私は次女を抱えて大泣き。どうしよう、長女へのイライラが止まらない。長女を可愛く思う気持ちが、一滴も湧いてこない。産前まで、どんなに夜寝られなくて辛くても、壮絶だったイヤイヤ期ですら、「可愛い」の泉には多かれ少なかれきれいな水が湧いていたのに。
「下の子が生まれたら上の子が可愛く思えない」というエピソードは、そういえば何度か聞いたことがあったけれど、自分がそうなるとは1ミリも思っていなかった。
はっきり言って恐怖だった。自分か気持ちを、自分では全くコントロールできない感覚。これから先どうなってしまうのだろう。「大好きだよ」と伝えるとき、その裏に全く好きの気持ちがない、空っぽの口先だけの「大好きだよ」になってしまうのだろうか。そんな私の気持ちに気付いて長女がグレたらどうしよう。
あれこれ不安が湧いて、お風呂から出てくるまでメソメソし続けたのだった。
結局その晩授乳の合間を縫って1時間くらいずつは深く眠り、朝ちょっとスッキリしたら、起きてきた娘を見て「可愛いなぁ」と思えたのでした。やっぱり睡眠不足は恐ろしいね、という結論なのだけれど(そしてまだまだ睡眠不足なのだけれど)
でも、自分が頭で考える気持ちと、心で感じる気持ちがチグハグすぎる、という経験は覚えておこうと思った。子供産んでみたら全然可愛く思えないママさんとかってきっといると思うのだけど、それってほんとにどうしようもないんだろうな‥気持ちが湧いてこないものはどうしようもない。
うまくまとまらないけれど、もしそういう人がいたら、寄り添える自分になりたいなぁ、などと思ったのでした。
カラフルな円グラフのような人生を描きたいし、描いて欲しい
太陽光が入ると冷房効率が悪くなるということは百も二百も承知なのだが、我が家の東向きの窓から入る朝日が大好きで、夏もできればカーテンを開けておきたい。
でも新生児がいると部屋をそこそこ冷やさなければいけないから、加減が難しい。
次女は先ほどの授乳後、膝で寝てしまった。そのままホイッとソファに写しても、まだスヤスヤしている。夜はまとめて寝てくれなくて四苦八苦だが、長女よりは寝るタイプらしい。
あの子はさっぱり寝ないし、あらゆる音に反応してすぐに泣き出した。
このまま繊細すぎる生き方だったらどうしようと悩んだ日々が懐かしい。今では口から生まれたかのようにお喋りを延々続ける、学級委員タイプで世話焼きで結構な頑固者の、表情豊かで声の大きな女の子になった。とはいえ慎重で臆病で甘えん坊な性格も共存していて、見ていて飽きない。
この性格形成の裏で、私の影響はどれくらいの割合で作用してるんだろう。生まれ持った気質と、家族親戚からの影響と、保育園や社会からの影響と、その他諸々と。そのうちの何割が私なのかなぁと思って、ちょっと怖くなる。
私は母親との関係構築がどうもうまくできなくて、とても生きづらくて、最近母子関係を振り返ってちょっとずつ棚卸しをしているのだけれど。
何でもかんでも母親のせいにすることもできれば、しないこともできるし、正解がわからなくて、難しい。
私の場合は母親が過干渉で、ある程度の年齢になるまで人生における母親の占める割合があまりに大きかったから、きっと影響は多大なんだろうな、とは思う。円グラフにしたら、母親色がずいぶん幅を利かせてしまっている感じ。
娘たちは、私の割合を極力薄めて、カラフルな円グラフで人生を送ってほしい。私も、子供色に染まりすぎず、カラフルな円グラフを作りたい。
とはいえ、小学校にあがったらおうちでおかえりを言ってあげたいなぁとか、長期休暇に家族でたくさん思い出を作りたいなぁとか、やっぱりお互いの色に染まり合う時期も必要と感じている。小1の壁を前に、勤め人だとな果たしづらいあれこれが待ち受けている。
どんな働き方がいいのか理想を描いて逆算して行動しないと、という焦燥感と、目の前のことにもがくばかりの日々と、その狭間で揺れ動きながら、今日も後者に押し流されていく。
伊藤まさこ『まいにち、まいにち』
新生児育児の隙間時間に、伊藤まさこさんの『まいにちまいにち』を読む。
娘さんと2人松本に暮らし、美味しいものを作り、食べ、買い物をし、旅をし‥そんな日々を軽いタッチで綴った日記。
いわゆる「生活系」というか、「丁寧な暮らし」を実践して発信する類の書籍ではあるが、丁寧とは程遠い私が読んでも、多少憧れはすれど変なプレッシャーは感じない。
それは娘さんがいるのにあまり文章中に出てこないからかもしれない。娘主体の生活をしているわけではなく、あくまで私が主体。私が働き、私が生活する。私がやりたいことをし、私が行きたいところに行く。きっとそれは娘さんも同様なのではないだろう。
私も娘たちとそんな関係性でいたい。
ネットによると離婚歴が多いそうで、恋多き女性なのだろうか?だとしたらなんか嬉しい。恋愛に素直な人、カッコいい。
伊藤さんの別の本も読んでみよう。
出産した日に橋の向こう側に置いてきた私をまた見つけた話
次女を産んだのは、先週のとある平日の深夜1時半過ぎだったのだが、そこから翌日の日付が変わる頃まで実に一睡もできなかった。
陣痛が始まってから1時間半でするりと出てきたとはいえ、一気に襲いかかった陣痛は人並みに痛かったと思う。
そこから、胎盤がなかなか出てこないとか、スピード出産で疲れてしまったらしい子宮がちっとも収縮しなくて出血が止まらないとか、産んだ後の処置が諸々あって疲労困憊。
のはずなのに、さっぱり眠気がこない。産後ハイってやつか‥勘弁してくれ‥と病室の硬いベッドの上で頭を抱えた。
そういえば長女のときも、正午頃産んで、その日の晩は明け方まで寝付けなかった。
あのときは出産の不可逆性を前に恐れおののいていたのを覚えている。
なんというか、これで私はもう「子供を産まなかった私」には二度と戻れないんだ、という感覚。
休日に子供が集まる施設に家族で遊びに行って、イヤイヤする子をあやしたりしつつも、みんなで笑顔で過ごす。「ファミリー層」の仲間入り。その橋を渡ってしまったんだ、という感覚。
長女のことは本当に可愛くて、産まれたことは心から嬉しかったのだけれども、数時間前までの「私」を橋の向こう側においてきてしまったような気がして、とてつもない喪失感でいっぱいになって、夜中に1人ポロポロ泣いたのだった。
あれから4年。橋の先に幸せはたくさんあったけれど、やっぱり向こう側に置いてきてしまったものもあるな、と思う。
あちこち飲みに行ける自由とか、職業や居住地の選択肢の多さとか、金銭面のゆとりとか、なんかそういうもの。
子供を産まなければよかったと思うことは一度もないのだけれど、向こう側の私からの視線をたまに感じたりは、する。
などと思い出しはしたものの、第二子出産にあたってはそんな感慨も湧かず。
とりあえず、寝たい。明日からの母子同室に差し障る。ヤバい。
焦りを感じ、おそるおそる看護師さんに入眠剤をくださいとお願いして、それを飲んだらスコンと眠れたのでした。
2年ぶりの投稿
思い立って、2年ぶりに投稿してみるなど。2年の間に何があったかなーと思いをはせる‥
しごと
・転職先で1人バックオフィスで持ち帰り仕事も多くて死んでいた2017年。
・仕事が疲れすぎて自己肯定感が底値。逃げるように再び転職した2018年。転職先の上司が面倒見良い&セキュリティ上、基本オフィスでしか仕事できない(リモートの場合もオフィスのPC立ち上げてもらわないとできない)ので、QOLが上がり少し自分を取り戻す。
・しかし年収がだだ下がりなので、また転職したい。子供が小学校に入ったらなるべくお家にいたいので、どんな働き方がいいのか引き続き模索。
かぞく
・先週次女を産んだ。2人目は良く寝るってどこの都市伝説?でも可愛い。
・今年小規模園を卒園し、5歳クラスまである認可保育園に転園した長女は元気いっぱい&相変わらずの超絶ママっ子な日々。赤ちゃんのお世話したい欲求とママを取られた嫉妬心との間でせめぎ合う。
・私が切迫流産で入院したこともあり、夫の育児家事スキルが爆上がり。イクメンという言葉は嫌いだが、控えめに言ってイクメンの鑑だと思う。
そんな2年。こういうとき真っ先に仕事のことから書き始めるところを見ると、私働くことが好きなんだろうか。嫌いだと思ってるんだけど。。。無自覚?
好き勝手
それはそうと、2年の間に、「何かテーマを持ってブログを使ってアウトプットしよう」と色々試してはすぐ挫折し‥を繰り返してもいた。
が。
なんかもう書きたいこと書いて発散しよー。ブログで稼げるようになるとか、仕事でも役立つスキルを得ようとか、人様のためになることを発信しようとか、一旦そういうのなし。
と思い直した、そんな産後です。好き勝手書くぞー。
思えば10代の頃はもっと書くのが大好きでだった気がするもの。あの頃の楽しさを取り戻したい。