出産した日に橋の向こう側に置いてきた私をまた見つけた話
次女を産んだのは、先週のとある平日の深夜1時半過ぎだったのだが、そこから翌日の日付が変わる頃まで実に一睡もできなかった。
陣痛が始まってから1時間半でするりと出てきたとはいえ、一気に襲いかかった陣痛は人並みに痛かったと思う。
そこから、胎盤がなかなか出てこないとか、スピード出産で疲れてしまったらしい子宮がちっとも収縮しなくて出血が止まらないとか、産んだ後の処置が諸々あって疲労困憊。
のはずなのに、さっぱり眠気がこない。産後ハイってやつか‥勘弁してくれ‥と病室の硬いベッドの上で頭を抱えた。
そういえば長女のときも、正午頃産んで、その日の晩は明け方まで寝付けなかった。
あのときは出産の不可逆性を前に恐れおののいていたのを覚えている。
なんというか、これで私はもう「子供を産まなかった私」には二度と戻れないんだ、という感覚。
休日に子供が集まる施設に家族で遊びに行って、イヤイヤする子をあやしたりしつつも、みんなで笑顔で過ごす。「ファミリー層」の仲間入り。その橋を渡ってしまったんだ、という感覚。
長女のことは本当に可愛くて、産まれたことは心から嬉しかったのだけれども、数時間前までの「私」を橋の向こう側においてきてしまったような気がして、とてつもない喪失感でいっぱいになって、夜中に1人ポロポロ泣いたのだった。
あれから4年。橋の先に幸せはたくさんあったけれど、やっぱり向こう側に置いてきてしまったものもあるな、と思う。
あちこち飲みに行ける自由とか、職業や居住地の選択肢の多さとか、金銭面のゆとりとか、なんかそういうもの。
子供を産まなければよかったと思うことは一度もないのだけれど、向こう側の私からの視線をたまに感じたりは、する。
などと思い出しはしたものの、第二子出産にあたってはそんな感慨も湧かず。
とりあえず、寝たい。明日からの母子同室に差し障る。ヤバい。
焦りを感じ、おそるおそる看護師さんに入眠剤をくださいとお願いして、それを飲んだらスコンと眠れたのでした。